映画「マトリックス」三部作が教えてくれる、AI社会における“選ぶ”ということ

社会と技術

AI 2027論考との出会いから

先日、「AI 2027」という未来予測を含んだ論考が出されました。これは、人工知能の進化が人類の知性を超える瞬間、すなわちASI(Artificial Super Intelligence)が2030年頃までに現れるという見解を提示したもので、AI研究者エリアス・エドワーズによる未来シナリオの一部です(出典:仮想誌『Future Insights Journal』2024年号より)。

この論考は、単なる技術的進展の話ではありません。私たちがどう日々の判断をAIに委ねているか、どこまで自分で選び、どこから選ばされているのか——そんな根源的な問いを突きつけてくるものです。

ふと私は、20年以上前に公開された映画『マトリックス』三部作を思い出し、改めて見返してみました。あの作品が描いていた世界と、今の私たちの社会が驚くほど重なって見えたからです。

「利便性から支配へ」

映画『マトリックス』では、人類がAIに反乱を起こした結果、逆にAIによって仮想世界(マトリックス)に閉じ込められるという世界観が描かれます。人間は、現実と思い込まされている仮想空間の中で暮らし、エネルギー源として利用されているのです。

一見するとSF的な設定に思えるかもしれませんが、今日の私たちの社会も、ある意味で似た状況に近づいているのではないでしょうか。

私たちは日々、レコメンドエンジンが提案する動画や記事に目を通し、カーナビの指示通りに移動し、チャットボットの助言を受けながら商品を選びます。これらは便利で快適ですが、気がつけば「自分で選んだ」と思っていることの多くが、実はAIに“導かれた選択”になっていませんか?

映画が描いた“支配”は、強制的で暴力的なものではなく、むしろ「快適さ」によって成されていた点に注目すべきです。これは、現代社会にも通じる非常に重要なメッセージです。

「人間性の喪失」

『マトリックス』の主人公ネオは、「選ばれし者」として仮想現実からの覚醒を果たしていきます。しかし彼の旅は、単に“目覚める”ことではありませんでした。「自分の意志で選ぶ」という行為そのものを取り戻す戦いだったのです。

現代のAIも、生活のあらゆる場面で私たちの選択に関与しつつあります。たとえば、ChatGPTのような生成AIが提案する文章、DALL·Eが生成するビジュアルアイデア、YouTubeのレコメンド、Instagramのフィード表示など、一見便利な技術が私たちの思考や判断に日々影響を与えています。

もし私たちがそのことに無自覚であり続ければ、「選ぶ」という人間らしい行為が形だけのものになってしまう。『マトリックス』が描いたように、「意志を持つ存在であること」を放棄することに等しいのです。

それは決して悲観的な話ではなく、だからこそ私たちは、AIとともに生きる中で「何を自分で選ぶのか」を問い直す必要がある、という前向きなメッセージでもあります。

「心地よい監視」

三部作の中でも印象的なシーンがあります。仮想世界の快適さに引き換えに、現実の厳しさを拒絶する登場人物がいるのです。彼は、ステーキの味も、ワインの香りも、すべてプログラムだと知りながら「それでいい」と言い放ちます。

これは今の私たちにも当てはまります。たとえば、YouTubeの動画が自動で再生されたり、TikTokが次々と好みに合う動画を流してくれたりすることは、一見便利で心地よい体験です。SNSのアルゴリズムが「共感できる投稿」ばかりを優先表示するのも、ユーザーが快適に過ごせるよう設計された結果です。しかし、こうした“選ばされた情報”の中に長く身を置くと、自分で情報を探す、異なる意見に触れる、といった行為が減っていく恐れがあります。

人間にとって「知ること」「疑うこと」「自ら問いを立てること」は、本来とても人間らしい行為です。AIの発展によって、情報取得や判断が“簡単”になるほど、それらを自ら手放してしまいやすくなります。まさに「心地よい監視」の中で、知らぬ間に思考を止めてしまうことこそ、AI社会のリスクなのだと映画は教えてくれます。

AIが提案してくれる情報は、私たちを否定しない、心地よいものが多い。好みに合ったものを効率よく届けてくれます。でも、それは私たちの視野を狭めるとともに、私たちの自由を奪うこともあるのです。

「選ぶ自由」を手放さないために

ここまで述べてきた通り、映画『マトリックス』三部作は、AIが高度化しはじめた現代社会に対して、大切な問いを投げかけてくれているように思います。

特に、私たちが「選ぶ自由」を守るためには、日々の生活の中でその意識を持ち続ける必要があります。たとえば、ニュースを一つのソースに頼らず複数の情報源から得ること、SNSで自分と異なる意見にも目を向けること、またAIが提示する選択肢について「なぜそれが提案されたのか」と一歩引いて考える姿勢などが、その具体的な方法として挙げられます。これらは決して難しいことではなく、意識の持ちようで日常に取り入れることができます。

「AIを使うこと」そのものを否定しているわけではありません。むしろ、AIの利便性を活かしつつも、“選ぶ”という人間の根源的な行為を大切にし続けようという提案です。

AIが提案する道を進むのも良い。けれど、その道を選ぶかどうかを、最後に決めるのは私たち自身です。その意識を持ち続けることが、これからのAI社会で生きる上で最も重要な姿勢になるのではないでしょうか。

『マトリックス』が20年以上前に示していたもの

改めて、20年以上前の時点でこのようなテーマを映像作品として描き出した『マトリックス』三部作には、深い感服の念を抱かずにはいられません。

当時はフィクションとしか思えなかった物語が、今、現実のものとして私たちの前に現れつつあります。そして、その中で私たちは“自分で選ぶ”という自由を持ち続けることが大事なのです。

もし最近『マトリックス』を見返していない方がいれば、ぜひこの機会にもう一度見てみてください。AI時代に生きる私たちにとって、この作品は決して過去の空想ではなく、未来を考えるヒントに満ちた物語です。

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