AIが数万案を生む時代に、最後の一本を選ぶのは人間です

つぶやき

生成AIに文章や画像の案を求めると、驚くほど短い時間で、たくさんの候補が返ってきます。

広告のコピー、動画の構成、イラスト、音楽のアレンジ、企画書の見出し。これまで何時間、何日もかけて考えていた作業を、AIは一気に進めてくれます。

Business Insider Japanに掲載された、博報堂のプロンプトライター兼AIフィルムディレクターへのインタビュー記事を読み、私は「まさにその通りだ」と感じました。

記事では、AIを使えば短時間で数千、数万ものコピー案を生成できる一方、わずかな差しかない候補から「最後の一本」を選ぶことは、人間が担うべき領域だと語られています。AIはあるコピーを厳しく評価することも、反対に高く評価することもできます。しかし、最終的にどの言葉を社会へ届けるのかを決め、その結果に責任を持つことはできません。

この記事は、AI時代に人間のクリエイティブが必要なくなるのではなく、むしろその本質が、これまで以上にはっきりしてくることを示しているように思います。

AIは「つくること」の入口を大きく広げる

生成AIがもたらした大きな変化の一つは、表現に挑戦するための入口を広げたことです。

以前なら、大規模な撮影、専門的な機材、多くの出演者、長い制作期間が必要だった映像でも、AIを活用することで、パソコン上から完成形に近いイメージをつくれるようになりました。

紹介された事例でも、実写であれば大きな費用と時間を要する映像表現を、AIによって形にしています。これまで「実現が難しい」と打ち合わせに出すことさえ控えていた企画も、具体的な映像として提案できるようになったといいます。

これは単なる制作費の削減ではありません。

予算や設備、専門技術の壁によって表現を諦めていた人にも、挑戦する機会が生まれるということです。小さな会社、地域の文化団体、学生、個人のクリエイターも、自分の考えを映像や文章として伝えやすくなります。

生成AIは、表現する人を減らすための技術ではなく、使い方によっては、表現に参加できる人を増やす技術になり得ます。

しかし、選択肢が増えるだけでは作品にならない

AIは、膨大な選択肢を示してくれます。

けれども、選択肢が一万個あれば、優れた作品が自動的に完成するわけではありません。

どの案が、この商品や活動の本当の価値を伝えているのか。
どの言葉なら、受け取る人の心に届くのか。
面白さを優先するのか、誠実さを優先するのか。
誰かを傷つけたり、誤解させたりする表現になっていないか。

こうした問いには、唯一の正解がありません。

過去の作品や評価基準を学習したAIは、「一般的にはこちらが好まれやすい」と分析することはできます。しかし、今回の作品で何を大切にするのか、その価値基準自体を最終的に定めるのは人間です。

AIは判断材料を増やせます。反対意見を出したり、見落としを指摘したりすることもできます。それでも、決定の意味を引き受ける主体にはなりません。

だからこそ、人間には、選ぶ力と説明する力が必要になります。

AIは問いを提案できても、問いを生きることはできない

「問いを立てることも、AIにできるのではないか」と考える人もいるでしょう。

確かにAIは、「別の角度から考えるための質問を出してください」と頼めば、多くの問いを提示してくれます。人間が思いつかなかった観点を示すこともあります。

しかし、AIが文章として問いを生成することと、人間が自分自身の問題として問いを持つことは同じではありません。

なぜ、このことが気になるのか。
なぜ、この人に伝えたいのか。
なぜ、この表現でなければならないのか。

こうした問いは、仕事の経験、人との関係、喜びや違和感、地域や文化との関わりから生まれます。

AIは問いの候補をつくれます。しかし、何を大切な問いとして選び、考え続けるのかを決めるのは人間です。

クリエイティブの出発点は、生成ボタンではありません。「私は何を伝えたいのか」という、人間の内側にある問題意識です。

偶然の出会いと身体のある経験が、より大切になる

紹介記事で特に印象に残ったのは、AIによって生まれた時間を、一次情報に触れるために使うという話です。

実際に商品を使ってみる。人に話を聞く。図書館へ行き、本棚を眺める。そこでは、検索しようと思っていなかった本や言葉に出会うことがあります。記事でも、こうした身体性のある体験や、インターネット検索にはない偶然の出会いの価値が語られています。

創造性は、知識の量だけから生まれるものではありません。

散歩中に見た風景、誰かとの何気ない会話、演奏中に偶然生まれた響き、失敗した経験。そのときは関係がないように思えた出来事が、後になって一つのアイデアにつながることがあります。

AIも、予想外の組み合わせを提示できます。しかし、その出力を見て「これは自分の経験とつながっている」と感じ、意味を見いだすのは人間です。

AIによって作業時間が短くなったなら、空いた時間をさらに多くの生成に使うだけではなく、人に会い、現場を見て、作品に触れ、少し休むことにも使いたいものです。

それが、AIからは得にくい、自分だけの視点を育てることにつながります。

AI時代には、審美眼を育てる時間が必要になる

AIの出力が増えるほど、「つくる能力」と同時に「見る能力」が重要になります。

審美眼とは、単に美しいものを見分ける力ではありません。何が目的に合っているか、何が新しいか、何が誠実かを、自分なりの基準で判断する力です。

音楽で考えてみましょう。

AIが何十通りもの伴奏や編曲を提示しても、どのテンポなら曲の情感が伝わるのか、どこで音を抑えるのか、どの余韻を残すのかは、演奏者や編曲者が選びます。

その判断は、名演を聴いた経験、自分で演奏した経験、仲間と音を合わせた経験から育ちます。

AIを使うからこそ、良い作品に触れること、基礎を学ぶこと、自分でも試行錯誤することを大切にする必要があります。AIにすべてを任せてしまうと、出力を評価するための基準まで育ちにくくなるからです。

AIは学びを省略する装置ではなく、学びを深めるための相手として使う方が、長期的には大きな力になります。

便利さと責任を切り離さない

クリエイティブ分野でAIを使うときには、著作権、肖像、個人情報、偏った表現などにも注意が必要です。

「AIがつくったから問題ない」と考えるのではなく、どのような素材や情報を使い、誰にどのような影響を与えるのかを、人間が確認しなければなりません。

UNESCOの「AI倫理に関する勧告」も、AIが人間の最終的な責任を置き換えてはならないという考え方を示しています。人間による監督とは、最後に形式的な承認ボタンを押すことではありません。内容を理解し、自分の言葉で理由を説明し、結果に責任を持てる状態を意味します。

創作においても同じです。

最後に選ぶ人は、「AIが勧めたから」ではなく、「私はこの理由で選んだ」と説明できる必要があります。

AIを使って、クリエイティビティをさらに進化させよう

AI時代になっても、人間のクリエイティブへの道が閉ざされるわけではありません。

変わるのは、人間が時間と力を注ぐ場所です。

大量の案をつくる作業は、AIの助けを借りられます。その分、人間は、何をつくるのか、なぜつくるのか、誰に届けるのかを、より深く考えられるようになります。

AIに視点を広げてもらい、自分では思いつかなかった案と出会う。
AIに反対意見を出してもらい、自分の考えを見直す。
AIで試作品をつくり、人と対話しながら磨いていく。

そのうえで、現場へ行き、人に会い、良い作品に触れ、自分自身の感性と判断力を育てる。

AIは、人間の創造性を代行する存在というより、創造の可能性を広げる道具です。

数万本を生み出す力と、最後の一本を選ぶ力。その二つを対立させる必要はありません。

AIの速さと広さを活かしながら、人間の問い、経験、価値観、責任を重ねる。その協働によって、これまで思い描くだけだった表現を形にし、私たちのクリエイティビティを、さらに豊かなものへ進化させていきたいと思います。